HIDEKOのマチュアライフ
中山秀子52歳

52回目の誕生日を迎えました

 今日、3月12日は

私の52回目の誕生日です

この年齢まで、
健康でお仕事が出来る
という事に心から感謝致します

さて今朝がた、
不思議な夢を見ました

場所はすでに引き払った実家。

4年半前に亡くなった母と
部屋で一緒に過ごしています。

生きている間は、
私にとても厳しい母でした。

スキンシップや褒め言葉
笑顔の記憶がほとんど
ありません。

そんな母が笑顔で私を
抱きしめて「愛してる」と
ハッキリ聞き取れる声で
言いました。

本当にびっくりしました!

そして「お弁当作ったよ」と
台所に導かれて行くと、
ご馳走が一杯並んでいて
キレイなお弁当箱に美味しそうな
料理が一杯詰まっていました。

「お母さん、すごい!」
と言うと、母はにっこり。

素朴な家庭料理が得意だった母
晩年は面倒になって
料理しなくなっていたので、
夢の中のご馳走は驚き!

台所から部屋へ戻ると
父と母が仲良く
寄り添っていました。

 

父は、母の死の3か月後に
衰弱して亡くなりました

娘の私の前では、
母は父の事を嫌いだと
いつも言っていたし、
夫婦喧嘩ばかりで
心苦しかったのですが、

実は夫婦仲は良かったんだね。

娘としては嬉しい光景
が見られて、幸せな気分に
なれました。

生きている時の夫婦喧嘩は
二人のリクレーション?

まあ、そういう事か・・・

そこで目が覚めました。

手元のスマホの日付を見ると
3月12日。

あぁ、そっか・・・
今日は私の誕生日。
お仕事に追われて
すっかり忘れていました。

52年前の今日の物語

緊迫した状態で産気づいた母
必死で車で病院に搬送する父

胎盤早期剥離により
出産予定日より1か月早く
手術室で産まれた私は
死産だったとの事。

帝王切開に立ち会っていた父
出血多量で意識が消えて行く母。

一時は医師から
母子共に諦める様に言われ、
果てしない絶望感を味わった父。

しかし・・・。

遺体としてステンレスの
トレーに入れられ、
冷たい床に置かれた私が
突然大きな泣き声を
上げたらしいです。

医師も助産師もびっくり!

母の命もかろうじて助かり
父は嬉し涙が止まらなかったと
子供の頃から
何度も何度も聞かされました。

大人になり、
一流総合病院の手術室へ
就職し3年働いたものの、
美容やその他、興味の赴くまま
転職を繰り返す私は、

保守的な考えの両親から
厳しく意見される事が増え
母から勘当を言い渡された
事もありました。

20代半ばから
両親との心の距離が遠くなり
淋しさから、素直になれず
愛されている事を忘れがちに。

しかし、今朝がたの夢で
両親に愛されていたと
思い出す事ができました。

愛情を伝える為に
両親の魂が誕生日に
私に素敵な夢を見せてくれた。

きっとそうに違いありません。

 

死の淵から甦った私には
何かの使命があるのかも

この頃特に、そう思います。

すっぽんコラーゲンの化粧品
作ったら良いかも!と閃き

黒門市場のお魚屋さんに提案し
近畿大学薬学部と共同開発。

発売開始から4年半。

お陰様で沢山のお客様に喜ばれ
累計10万個以上
お買い上げ頂きました。

化粧品会社創立準備期間は
私の両親の相次ぐ介護問題
死亡の時期と重なりました。

また、私の思考、行動に
ご理解頂けない方達も多く
四方八方から攻撃も受け
長い間、苦しみました。

しかし今は
沢山の方達に応援
ご協力頂ける様になりました。

 

人生に無駄無し
人間万事塞翁が馬

私の人生、50年強
障害物競走の様な感じでした。

でも、これで良かったのです。

何事も若い頃から
すんなり進む事ばかりだと
困り事にどういう対応をすれば
良いのか?

未経験のまま大人になり
問題解決が出来ない人間に
なってしまうかもしれません。

そういう意味で
私は子供の頃から
一杯困って良かったと思います。

50年超、困って頭打って
試行錯誤した事が
これからの人生後半戦で
きっと役に立つはず!

全ての事に感謝して
頑張って行きたいと思います!

今日は長文にお付き合い
くださいまして
どうもありがとうございました。

Hideko Nakayama